披露山公園は昭和33年(1958年)6月7日に開園しました。
それ以降50年の歴史がありますが、実はそれ以前にもこの地は戦時中に高射砲台として利用された深い歴史を持っています。
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公園の広場は第2次世界大戦時に海軍の高射砲陣地があったところで、3つの高射砲砲座(直径12m)と監視所の 地下室が残されており、3つの砲座はそれぞれ「展望台」「猿舎」及び「円形花壇」に利用され、監視所跡にはレストハウスを設けました。
高台の見晴らしの良い立地条件であったからこそ高射砲陣地として選ばれ、 その後、展望の良い公園へと生まれ変わったわけですね。
なお、披露(ヒロ)の名は「ひらきあらわす」という、めでたいこと、良いことを公表する意味があり、 鎌倉時代将軍に献上物を披露した所、あるいは献上の品物を披露する役人が住んでいたところと言われています。